今朝は涼しく、夜中も熟睡できたせいか、朝から作品のことで閃きの連続。
何をさて置き、いつものグレイのノートに描きなぐった。
ちょっと落ち着いて新聞をめくると、
またも藤さんのコラムが目〜脳〜脊髄をかけめぐる!
美術、芸術、美しさの最大の魅力とは、
『価値のないものにエネルギーを与えること』
それが美術家の仕事だなあ、と。ワクワクがとまらない朝だけど、
今日から4日間、店はお盆期間の営業日。
モードを切り替えていこう。こちらもワクワク!
8/11 西日本新聞朝刊「地域と美術のすきまのやもり」より
しかし、価値のないものにエネルギーを与えられるのは、
その人自身にエネルギーが溢れていることが前提だね。
美術家も物書きも、ものづくりに携わっているのは大変な仕事だ。
今、世の中に出回っているもののほとんどは、
一見、斬新なものであっても、
自分なりの工夫やエッセンスを加えることはあっても、
発明されたものでないかぎり、
過去に誰かが作ったものの焼き直しだ。
だから、どのジャンルにも「学校」があり、
その道で成果をおさめた人は皆、常に謙虚なのだと思った。
わたしは自分でゼロから作ることは苦手だ。
すでにある素材を集め、組み立て、活かし、編集し、
ひとつのものとして世に送る。
それが向いている。だから、店をしているのであって、
このスタイルで製作をしている。無意識は正直だ。
常に謙虚であれ。
今朝、鶯が鳴きました。
鳴き始めは、まだ慣れてないのかへたくそです。笑
今日の西日本新聞朝刊「紅皿」より。
『結婚72年、今や2人は、余計なものは全て取り払われて、
愛情だけでつながっている』
朝から胸があたたかくなった。
愛情だけでつながれるなんて、人に生まれて最高の到達点。
人生フルーツのつばたご夫妻もしかり、
紆余曲折山あり谷あり、様々な出来事を乗り越えてきた夫婦だからこそ感じる
究極の愛のかたちだと思った。うちはまだまだ修行が足りぬ。
昨日から西日本新聞朝刊で、
熊本の橙書店店主 田尻久子さんの連載『かけら』がはじまった。
芳醇な時が流れることばのかけらたち。
今朝の『雨漏り』の雨に濡れた本を買った常連さんのエピソードには
思わず胸が熱くなった。
この連載は50回。
そうだ、毎日切り抜いて小さなリング付きノートに貼っていけば誰でも読める。
そうしよう。ノートはシンプルなのがいいな。50ページの1冊の本。
なんだかワクワクしてきた♡
追記:
その後早速、無印のA5リ
リングノートはスケッチブック型、ファイル型、表紙が
いろいろありましたが、ダークグレーのシンプル
先日の『たね』は、断捨離と言っては物を簡単に捨ててし
物が宿したその記憶をつつみこむおはなし。
そう
◎強い社会や国をつくるには『持続性のあること』を基準に。
今朝の西日本新聞13面の内山節さんの記事を読んで、気持ちよく腑に落ちた。
いっときの強そうに見える経済、いっときの流行、いっときの軍事力。
その時々で動きを変える風見鶏は、みんな砂上の楼閣に見えた。
そして本当の強さの定義とは、農的な生き方と共通しているなあ、、と思った。
『人と違うこと』
『人がやらないことをやる』
これを貫いた大隅教授は水瓶座に違いないと思っていたら、
やっぱりそうだった。大変恐れ多いが、同じ水瓶座のにおいがする。笑
(ほんっと、見事に周りの水瓶座の人はみんなそう!
毎度「水瓶座は変人」などと言われるが、誇りを持とう!笑
キョンキョンだって、福山雅治だって、高倉健だって、葉加瀬太郎だって、
みうらじゅんだって、上島竜平だって、矢口真里だって、みんな水瓶座だぞ!
やっぱり変ってるかも知れないけど共通して強心臓だぞ!笑)
ちなみに、大隅教授は東区馬出のご出身だそう。
売れるものを作るのは確かに大事。
でも、売れるものばかり作るなら、それは自分じゃなくてもいい仕事。
『咀嚼して自分の考えとすりあわせて出す』
長年窯と共に生き守ってきた彼らだけに、言葉の重みを感じる。
私たちは、もっと本物を見る目と感性を鍛えていく必要があると思った。
それが、社会全てに通ずるのではないかとも。
毎朝楽しみに拝読している音楽家・近藤薫さんの連載に興味深い一文があった。
「仏像を眺めているときは、自分の心を眺めているのかもしれない」
わたしも同じように思うことが度々ある。
目の前のものは何も変わっていないのに、その時々で感じ方が違うのだ。
それは、絵画だったり、誰かが書いた文章だったり。
自分のところで留めておけばいいものの、
場合によっては、その時の精神状態を見透かされてしまうだろうな。
芸術家は繊細で感性がとびぬけて高い人が多い。
そうでなければつとまらない職業だとも思う。
だから、言葉を交わさずとも、ハナから相手にされなかったり、
逆に一瞬で打ち解けたりする。
彼らと関わっていると、自分の感性が透けて見えることだってある。
そんな人たちが作るものだから「自分の心が見える」というのも、
妙に納得してしまう。作品と芸術家とは、自分の心を映す鏡なのかも知れない。
芸術は直接、経済活動には結びつかないかも知れない。
即効性はなくとも、自分は何物なのか、
生きていくのに大切なものは何なのかを教えてくれる。
世の中はもうお盆休みモードのようで、
火曜日も昨日も今日も、実店舗へお見えのお客様が。
せっかくお越しくださっているのに申し訳ございません。
当店は毎週金曜〜月曜日12-14時の営業とさせていただいております。
お盆期間中は、明日8/11(祝)〜15(月)まで営業いたします。
先週も、遠方からお越しのお客様が多く、
みなさま「福岡のごはんは何を食べても美味しい!」と♡
ご来福のみなさま、たくさん美味しいもの食べていってくださいねー♪
◎昨日の西日本新聞朝刊より◎
周りを満たそうとする前に、自分を満たすこと。
満たされている時は何をやってもスムーズに出来る。
逆のときはホントだめ。経験済みです。
イチローは同じ年齢。
孤高と言われていた頃から心も身体も成長しつづける、
プロ野球選手を超えた真のバッターだと思う。
たぶん彼は孤高のままだったら、
3000本安打達成してなかったんじゃないかな。
今日は海の日。
ミトコンドリアDNAの「ハプログループB」というわたしの先祖が、
中国南部から海を渡って、生きて日本に来たことに想いを馳せていたら、
朝刊にこんな記事が!
同じこと考えてるだけじゃなくて、
どうやってやったのかを試している人たちがいるんだね。
でも、草舟って、、、これで渡れたら奇跡としか言いようがない。
中国南部(台湾)〜沖縄〜九州という海路なんて、
南北に細い沖縄本島にどうやって辿り着いた?
さらに九州だなんて、潮に流されて太平洋の真ん中に行っちゃいそう。
男子ならまだしも、女子がいなければ子孫は残らないわけで、
(女子も一緒に乗船しただなんて、男勝りか、よっぽど追い詰められていたか)
なんだか、生きて九州に着いた確率は、受精に近いんじゃないかとさえ思えます。
何はともあれ、ご先祖の皆々様、よくぞ日本に渡ってくれました。
2016年夏、子孫たちは元気に暮らしております♡
朝からモヤモヤしている。
今朝の西日本新聞23面『作文の風景』を読んで。
要約すると、
最近は少子化の影響か、子どもたちは仲間はずしに遭わないよう、
互いに気を使いながら生きているそう。
そんな中、あるやんちゃな男の子が、先生と話し終わったあと振り返ったとき、
たまたま給食のスープを運んでいた女の子とぶつかり、男の子のシャツが汚れた。
この時、男の子が大声で、
『先生、ぼくにこの人がかけました。わざとかけてきました』と訴え、女の子は小さく声にならない声で『わたし、わたし、、、』と。
結局、担任の先生は男の子の話を聞き、繰り返し謝る女の子の顔を見せると、男の子は『いいよ』と席に戻った。担任は『私たち大人も、あれこれ考えさせられる』と締めくくられていますが、、、、非常にモヤモヤする。
どちらも『ごめんなさい』じゃないの?なんで男の子は謝らないのかな?
実際見たわけじゃないから何ともいえないけど、
書いてあることだけで判断すれば、わたしが男の子の親だったらわが子を許さないな。出遭い頭の衝突だろうに『ぼくにこの人がかけました。わざとかけてきました』と言った時点で手が出ちゃうかも知れない。
親はこの場にいないので、事実を知った時点で、女の子に謝りに行く。
わたしが担任なら、なぜ『わざとかけてきた』と思ったのか事実確認を丁寧にする。その後、女の子のケアはどうなったのだろう、、、それが気掛かりで仕方ないです。
どなたにもお会いしたことはないのだけど、今朝の記事を読んで、
なぜか、不思議と『あなたたちは大丈夫。』と思いました。
奥様は間違いなく見守っていて下さっているし、日々を丁寧に生きていらっしゃる。
私事だけど、母が亡くなってから、不思議なことがたくさんあった。
もうだめだ、、と思っていたところでフッと助けられるような。
妹なんて、母の骨壷の前に宝くじを置いていたら当たったし(!といっても50万ね。それで仏壇買った)誰も信じてくれないけど、わたしは母からよくメッセージ?が頭に飛びこんでくるし。前に飼っていた犬からもある。それがきっかけでハンナを飼うようになった。
別に信じてもらえなくても全然構わないんだけど、亡くなった方に心からの感謝と、素直な気持ちがあれば、あの世とこの世でも心は通わせられるんじゃないかと密かに思ってる。
先立った母が愛しいわが子を見守らないわけがない。
だから大丈夫。先々また会えるんだから、日々を元気に、泣いたり笑ったりしながら、自分らしくしっかり生きていく。お母さんを心配させないことが最大の供養だと思って♡
本屋さんで『大牟田本』が出てるのを発見!
大牟田市は母方の実家であり、かつて炭鉱で栄えた街。今、駅前の商店街はシャッターが目立っていますが、炭鉱、大蛇山など歴史を引き継ぎながら、のんびり暮らせるのが大牟田の良いところ。高齢者の見守りも先進的に取り組まれ、糸島市も大牟田市へ視察に行ったと聞きました。
どこを歩いても昭和の匂いがする街。個人的な希望としては、なんでも新しくするんじゃなくて、懐かしい街並みを生かしたら、観光客も地元の人もにぎわいそうな気がする。
「まるっと大牟田」では、パン屋さんやカフェ、オサレなバーなど、知らないお店がたくさん!昔からある通称『便所の横ラーメン』がご健在でよかった!笑
今からもし何か始めるのなら、小さな店って楽しいし、売り買いだけでなく、コミュニケーション、自己表現の場として最適だと思います。
でもさ、街って結局『人』だよね。
元気がいい人、面白い人に人が集まってくる。その中からネットワークが広がったり重なったりして、街も人も深みを増していく。
そんな『人』の特集もあり、老若男女が元気に楽しく暮らせる街へシフトチェンジするスタートアップ的な1冊になるのでは♡と思いました。
これは、facebookからの記事だけど、
最近もっとも怒りが脳天を突き抜けそうになったのがこれ。
記念写真を撮るためだけに戻ってくる親子も・・・
ガス室へ死んでいく犬の現実。
http://suuul.com/archives/1447
どんな教育を受けたら、こんな人間に育つのだろう?
政治も選挙も学校も大事だけど、なによりも、まずは家庭からだよ。絶対。
人間的で社会的な教育を、学校や政治に頼ってばかりじゃいけない。
今、世の中にある問題の根っこは、ここだと思う。
生きものや自然を軽視しすぎた拝金主義が今の日本を作ってる。
こんなこと書きたくないけど、このまま放っておけばこの国は破滅するよ、きっと。
弱いもの、根源を作り出してくれるものを軽視した結果が今。
さんざん辛い目に遭わせておいて、
自分に返ってきてから反省するなんて愚かすぎる。
今、立ち止まって考えなくちゃいけない。わたしはそう思う。
最近、ブログに書きたいことがたくさんあるのに、追いつかない。
ひとつだけ言えるのは、自分の心に素直に生きていれば、
まるで誰かがそう仕向けてくれているかのように、
思わぬ出会いがあったり、おもしろいスピードで事が運んでいく。
よく巷で言うところの「強く願えば叶う」とは違う。
深層にある自分の気持ちに素直に従っているだけ。
さして努力もしてないし、セカセカもしていない。
なんだか不思議ね。
さて、毎週月曜日の新聞は読むのが待ち遠しい。
今朝も、こころにずしりと響いた記事が3つありました。
よく、こういう内容をfacebookやブログに書くと、
「いいね!の数が減りませんか?」とか「アクセス数が気になりませんか?」
と聞かれることがあるけど、
(要は、新聞なんてみなさん興味ありませんよ、と言われている)
まったく、気になりません。
というか、気にしたことがありません。
何のために書いているのか?
それは、書きたいことや伝えたいことがあるからです。
「いいね!」や「アクセス数」が欲しいからではありません。
いちいち数字を気にして書きたいことも書けないなら、
すでに、facebookもブログもやめていると思います。
ただ、いらっしゃるんです。
うちには似たことを考えていらっしゃるお客様がたが。
店頭で、思いをぶつけてくださる方なんて、たまりません(笑)
そんな方々が大好きです♡
拝金主義は音楽までも。
想像力の欠如の行き着く先はどこなのだろう。
今朝の西日本新聞9面
『金のオタマジャクシ 11』より。
田舎と本と元気なおとなたちに囲まれていた、昭和に生まれて本当に良かった。
木城えほんの郷が全国にたくさん出来れば、
今ある問題のほとんどは自力で解決できる子が増える気がする。
今朝の西日本新聞9面
『木城えほんの郷20年を迎えて』より。
頭でなく心で戦争の悲惨さと愚かさを感じた作品。
こんなにも静かに深く深く槍が刺さったような痛みを感じた作品を見たのは初めてだ。母親は裸足。筋ばった足のすね。子を抱く腕の力強さや指の角度が、痛いほどの愛を物語っている。赤く染まった空は、未だ爆撃の最中なのだろうか。
全国だけでなく海外の様々な場所で、この企画展を開催して頂きたい。
頭ではなく、心で戦争を知るために。
今朝の西日本新聞14-15面
『絵でみる沖縄戦』より。
今朝から西日本新聞で演奏家 近藤薫さんの
『金のオタマジャクシ』という新たな連載が始まりました。
『偉大な演奏家は、その人にしか書けない秘密の音符を、
楽譜のどこかに落とし込んでいる』
このワンフレーズだけで、毎週読むと決めました(≧∇≦)
音楽にはまるでセンスがないわたしだけど、なにかもっと深いところで、繋がっているような気がしました。月曜日が楽しみだ!
天神再開発のために『天神』の地名の由来になった水鏡天満宮は
移設しないほうが良い。やってること逆だから。
こんなことしてたら天神は発展しないどころか衰退するかもね。
開発するなら、そこを大切に保存しながらやらなきゃ。
この天神再開発って、本当に福岡県人が言い始めたことなのかな?
あまりにも地元の歴史や文化を軽視しすぎる。
古き良き天神の風景がどんどん減って、
最近、天神行っても欲しいものないし、行く回数からして激減した。
わたしの価値観では昔のほうが断然良かった。
街はどこか東京を目指してるみたいだし、天神の個性を感じなくなって、
正直全然面白くなくなった。
「昔の天神」を知らない人たちが開発したがっているとしか思えないね。
ハードばかり充実させたところで観光客が増えるとでも思っているのかな?
中国人がこれからもずっと来て爆買しつづけてくれると思っているのかな?
毎朝楽しく読んでいた西日本新聞朝刊掲載、
梯久美子さんの『わたしの旅ノート』は今日が最終回。
1〜50まで全部読んだけど、最終回がもっともこころ打たれた。
その証拠に無意識に引いた赤線がどの回よりも多い。
この短いエッセイの中に、文字を追う度に切なくなったり、
キュッと背筋が伸びたりと忙しい。笑
構成が表現が見事という他ない。芸術の域だ。
読み終わった時のこの温かな充実感、ほのかな余韻はなんだろう?
ネットや本、あちこちに転がる文章多発時代に、
こんな上質なエッセイに出合えて幸せだった。
そして、フロンティアの土地、北海道を旅してみたくなった。
いつも西日本新聞朝刊の連載を楽しみにしていて、
著書も購入した梯 久美子さんの旅エッセイ『わたしの旅ノート』。
今朝は、通りすがりの人やタクシーの運転手さんの大阪での大阪人らしい
温かいエピソードだった。
わたしも父が徳島出身で、
東住吉区に暮らし伊丹の基地で自衛官をしていたことがあったり、
大阪には親戚もたくさんいて、今朝のエッセイは『大阪あるある』で楽しかった。
母は福岡出身だけど、父の実家や大阪の親戚に会う時は、
なるべく博多弁を封印していたつもりが語尾でばれ
『トモカは関西弁をようしゃべらんのやねえ、、、よその子みたいやわ』
と、いつも淋しそうな目で言われたことを思い出す。
やはり血は半分ずつなのか、父がコテコテだったからか、
実はわたしは福岡に長年暮らしながら、
せっかくボケてもツッコむ人がいない、ボケたと思ってツッコんだら怒られる(笑)
秒速の反応の良さを誇る大阪とのノリの違いに淋しくなるときがある。
だからか、店に関西からお客様が来てくださると妙にテンションが上がってしまう。笑
こう書いてると、無性に関西に行きたくなってきた。新緑のころ、また行こう♡
小学3〜4年生の時の担任の先生が強烈なくらい厳しかったが、この時
『とにかく本を読みなさい』
と、この2年間は図書館の貸出カードが何冊にもなるほど読んだ。
朝読書、読書マラソン、読書感想文発表会、先生からの真っ赤な添削、
2年間読書漬け、作文漬けだったけど、私だけでなくクラス全体で成績が急上昇した。
今朝の新聞には、貧困が招く10歳の壁と見出しが付いている。
家庭環境も大きく影響するだろうけど、学校で出来ることはたくさんあった。
我家も両親が不仲だった上、父は夜勤、さらに飲む打つ買うの典型的なダメおやじ、
母は病気がちで入退院を繰り返し、妹はこの時1〜2歳だったので、
家で勉強した記憶がほとんどない。
(宿題は学校でやっていた。先生もいるし、分からない所は教えてもらえて、
家でやるより効率的で良かった)
今思えば『本』だった。
本が読めれば、読解力がつく。自分で学べるようになる。
大人になってからも本当に役に立ってる。
小学生はどんどん本を読んで、アウトプットして、
自力で生きる力、問題解決できる力を身に付けて欲しい。
本を読んで得することはあっても、損することはひとつもない。
※本は読んで終わりにするのはもったいない。
アウトプットすることで、伝えたいことが言える自己表現能力や、
問題解決能力が身につくと思う。
中には本の世界にはまりすぎて、
夢の中で生きているように現実が辛そうな人も稀にいるけれど、
ジャンルが偏っているか、現実社会との乖離を自分なりに消化できていないのかも。
しかし、こういう人にまず悪人はいない。
わたしみたいにやさぐれておらず、とてもピュアなんだろうなと思う。
デンマークでは、日本でいうところのかかりつけ医にあたる、
体のことをなんでも相談できる家庭医が公的な制度の中にあるらしい。
これで医療行為の90%が家庭医の段階で終わるとか。
デンマークは医療費が無料だから、
みんなが医療機関をどんどん利用すれば制度が破綻してしまう。
家庭医の存在は大きい。
先日、あるニュースで、北京の人は東京の人並みに平均寿命が長いと知った。
あんなに空気が悪いのに?と不思議に思ったが、
彼らの理にかなった養生術がそうさせているらしい。
日本も『病気になったら』で考えて病院任せにせず、
『病気にならないために』それぞれが季節や状況に応じて養生し、
相談できる家庭医を利用するハイブリッド型が、
自分のためにも、医療制度のためにもなるなあと思った。
我家の場合は、この家庭医にあたるのが前原の糸島薬局。
家族(前は犬たちのことまで!)なんでも相談してます^ ^
・・・と、facebookに投稿したら、
ご主人が「家庭医」の研修を受けたという方からコメントが。
赤ちゃんから高齢者の訪問診療をはじめ、簡単な外科的処置などが可能だそう。
しかし、日本では、患者サイドに専門医を好む傾向がありそう、、、とのこと。
個人的には、家庭医の存在が日本の医療制度を変えるだろうと思うし、
終末期医療、看取りのかたちも、病院から自宅へ変わるかも知れない。
今よりもっと温かく体温を感じる医療、
日本人の気候と体質に合った未病段階の養生方法と家庭での実践が、
当たり前になる日が来るかも知れないと思いました。
逆に言うと、それくらいやらないと、この先日本の医療制度は破綻するかも知れません。
体験したことがある味を好むということは、
幼い頃から顆粒だしで育ったことを意味する。
(新聞ではそこまで書かれていないが内容からしてそういうことを意味している)
ちなみにわたしの場合は、母が作るお味噌汁はいりこ出汁だったけど、
今、昆布と椎茸出汁が最も好きな組み合わせ。
『体験したことがある味を好む』に当てはまらない、、、。なぜ??
わたしとしては、天然のお出汁も美味しいし大切。
自分で料理するときはお出汁をひける子に育てるけど、
どこでも何でも美味しく食べられるたくましい子に育って欲しい、、、って、
子供いませんが^_^;
海外ではそんなこと言ってられないもんね。
洗ってない野菜とか、出所不明の食べ物とかザラにあるし。
こだわりすぎていたら食べるものなくなる。
添加物とか、あんまりよろしくないものを採ったとしても、
自分でしっかり排出できるカラダになることをまずは目指したいです。
・・・と、昨日facebookに書いたところで、JUNKOさんからコメントが。
ヨガの先生らしい、とっても響く内容だったので、こちらにも。
うちの母もいりこ出汁の味噌汁だよ。
んで我が家は、いりこ、昆布、干し椎茸出汁。
今晩は、林田家風に昆布と椎茸出汁で作ってみよーっと。
そんで、大事なのはやっぱ排出出来る身体作りだよね!
素材にこだわるのは良いけど、こだわり過ぎている人、
無農薬、有機、甘味の種類、油の種類から全ての素材一つ一つに
何から何までこだわってる人ね。。
私の統計学から言うとなぜかそういう人は身体が弱い人が多いね。
心の浮き沈みも激しい気がする。
出ているエネルギーが弱いというか・・。
外側から取り入れるものには凄くこだわってるけど、
自分の内側にもう少し気を配ったがいいね。
何でそんなに不調続きなのか・・外側のもんばかり変えてもダメね。
自分の心も身体も内側を変えないと改善しない。
心身が循環してないとどんなに身体にいいもの取り入れても吸収も排出も出来ない。
あれはダメ!これじゃないといけない!という頑な考えは、
逆に否定的な感情が増幅して心の毒になってんだよー!って教えてあげたい。
健康的な臓器を持っていれば添加物とったとしてもちゃんとデトックスしてくれる。
健康的な臓器は本来そういった役割を持ってんだから。
内臓や背骨を健康に!
何でもOK!の柔軟な心に!
日本人は生真面目すぎるのか、他人の目が気になるのか、
白か黒、0%か100%、完璧でないと意味がない、
何かときっちりやらないと気がすまない民族性なのかな・・・と、
最近とくに思います。
でも、そこが行き過ぎるとどうなるか。
順子さんも書いてくださっていますが、最近いろんな人を見てきて思うのは、
思考や感情、行動、こだわりが強すぎる、がんばりすぎるなど、
病になる人はやっぱりどこかに偏りがあるように思います。
だから、SNSなどを見ていて「この人、そのうち病気になるだろうな」と思っていたら、
その後必ずなってる。今まで、100%この勘が外れたことがない。
(想像より早くなっている人もいた)
しかも治す方向性が明らかに違う人は、根本的な治癒に結びついていない。
本当に残念。でもご自身で気づくしかない。
逆に長寿の人を観察していると、たいていが真逆。
もともとの長寿遺伝子が発動しているからかも知れないけれど、
うちのじーちゃん(94歳)をはじめ長寿の人はたいてい、
性格が大らかで、思考回路がやわらかい。
なんでも美味しく楽しく食べる。無理をしない。好奇心旺盛。運動もしてる。
自分がそれに当てはまらなかったら、そうなるように練習すればいい。
排出できる身体でなければ、排出できる身体になれるよう努力すればいい。
100%を目指さなくても、10%からはじめればいい。完璧を目指さない。
自分で考えて、自分で行動する。
病にならない努力は怠らず、なったとしても自分で治すくらいの気概を持つ。
何より、今までちゃんと生きてきた自分を信じてあげること♡
ただこれだけ、ほんとシンプルです。
・・・だしの話から、えらく飛躍してしまったな(笑)
まあいっか!
8月末に風邪をひいたり、ひどい花粉症に悩まされたりして、
まともにヨガができる状態になかったこの2週間。
すると、右の股関節が痛み出し、偶然ふとした自分の姿を鏡で見たら、
とんでもなく姿勢が悪かった・・・。
ヨガをやっている時は(わたしの場合)、
明らかに調子が上がる♪わけではないのだけど「健康体である」という変化を
さほど感じない域まで来てる状態だったのだと思う。
それが、2週間休んだことで、元々あった体の悪いクセがひょっこり出始めて、、、。
ヨガを休んで分かるヨガの良さ。
今日は定休日なので朝はいつもよりゆったり。
新聞をじっくり読んだあと、ハンナと近所の海岸へ行くも、
潮が満ちてきていたので、わたしは砂浜に座り、波の音の中瞑想。
ハンナは穴掘り。気づくと、わたしの周りをぐるりと掘っていて、
陸の孤島のようになっていた(笑)
そして、ハンナのリードを使って(これがなかなか使える)
上体を伸ばしたりストレッチをしてスッキリ!
不思議と鼻の調子も良くなっていました。
福岡のお隣、韓国の釜山市は日本より早いスピードで高齢化になり、
2022年には人口の21%以上が65歳以上になる。
市は様々な対策を打ち出し、WHOの『エイジフレンドリーシティ(高齢者に優しい都市)』の世界的ネットワークへの加入を推進している。
釜山日報の取材班は、エイジフレンドリーシティ実現に取り組む秋田市とニューヨーク市を取材。ニューヨークでは民間が中心となり、高齢者に優しい商店や通りを作っている。高齢化を、社会のインフラを変えるための契機と捉えるべき。
『高齢者が豊かに暮らせる街は、誰もが豊かに暮らせる街』
9/15(火)西日本新聞朝刊5面
釜山日報記者 キム サンフン氏
糸島(志摩地区)で思い当たるのは、Aコープ志摩の送迎バスかなー。
ルートがいくつかあって、我家のすぐそばも来てくれる。
いつもバスは賑わっていて、買物以上のコミュニティーになっている雰囲気。
インフラといっても、過疎地は予算がなくて厳しい。
N.Yのように行政だけに頼らず、民間主体でやっていく仕組みについて、
知恵を出し合い学ばないといけないと思いました。
25年後は自分ごとです。
◎もし西日本新聞朝刊を購読しておられる方がいらっしゃったら、
今日の朝刊の28面『院内学級 学びと安らぎ』を読んでみてください。
感情はエネルギーということと、幸せとは何か6年生の少年が教えてくれました。
【西日本新聞朝刊】より
玉名市在住の高木波恵さん106歳が、
台湾に住むかつての教え子たちとネット対談したという記事。
高木さんは1929年から10年間、台湾台中市で教壇に立っていた。
引き揚げ後、現在は存在しない住所を書いて送った手紙を
台湾の郵便配達員が手を尽くして届け、現地で大きな話題になったのだそう。
教え子はすでに80代。台中市長や在校生など約200人が学校に集まり、
熊本↔台中のネット対談を楽しんだ。
80年の時を越えて再開できた先生と生徒たち。
実現には、台湾の郵便配達員さんの努力や、インターネット、
106歳の今も元気な高木さんなど、
台湾と日本の方達の人情と大きな縁が繋いだのだろうと目頭が熱くなりました。
そして最後はこちら【西日本新聞朝刊】より。
現代人はミネラル不足。
そのため代謝が悪く、体温も低く、感染症にかかりやすい。
現代人のミネラル不足の原因のひとつは、
ミネラルが欠乏した農地で野菜が栽培されていることがある。
ほうれん草の鉄分を調べると、1982年と2010年では、およそ1/3に。
ミネラルを補給するには、
落ち葉や牛ふんなどの堆肥、森のミネラルを吸収した川の草、
海藻を畑にすき込むことを、崇城大学名誉教授の村上光太郎さんは提案。
そういえば、
糸島の慣行農業は化学肥料での栽培が大多数であると思うけど、
牡蠣殻を粉砕してつくる『シーライム』は、
糸島で農業をしている人で知らない人はいないだろうし、
近くのみかん農家さんは、海岸に打ち上げられた海藻を軽トラで拾いに来ている。
牡蠣養殖のためではあるけど森林保護区域ができたし、
比較的、糸島は循環しているのではないかと思う。
元々の赤土という恵まれた土質ということもあるけど、
だから糸島の野菜は味が濃く美味しいのだと思った。
先日、国がEUでは認められていない農薬を許可するというニュースが流れたけれど、
消費者がそれを変えらると思っている。
それには自分なりにでも現実を知り、自分で考え、自分の意見を持つこと。
これって今問題になっていること全てにつながるね。
◎4/28西日本新聞朝刊
葉室麟さんの『河のほとりで』
かつての茶人たちは独自の美的感覚をもち、
人に生きる勇気を与えてきた。
なのに、最後は非業の死を遂げる…
葉室さんは『生きるための茶だと思うのだが』
と締めくくっておられた。
美と悲
相反するものは実は表裏一体、紙一重で、
美しくあるものは儚くともある。
だから人はのめり込むのか。
なにより、茶人たちはキレもの揃いで、
その鋭さゆえ、あらゆるものを知りすぎて、
トップを脅かす存在だったのだろう。
トップとは完璧な人間というより、
優秀な側近に支えられているものなんだな、
と、いつの世も変わらない法則に驚きつつ、
かつての茶人たちが、
黒田官兵衛のような引きどころを知っていれば、
非業の死を遂げることはなかったかも…と想像してみたりした。
◎紅皿 さよなら分校
ある山あいの小さな分校が閉校したとのこと。
子どもたちにとって山の学校生活は、
ゲームや便利なものがなくても、
どんなに楽しく活き活き過ごせただろう。。
わたしも父方の祖父母が、
徳島の山中に住んでいたので、
夏休みは川で泳いだり、
畑や果樹園、茶畑を手伝ったり、
祖父が仕留めた猪を食べたり。
元自衛官だった父が、ヘビをさばき食べ方を教えてくれたけど、
子どもたちには、あまり人気がなかった(笑)
味は美味しかったんだけど。
朝、山の水で顔を洗うのが冷たくて、
その時間だけ、木々の青々とした匂いが漂っていたのが不思議だった。
今思えば夢のような時間だった。
時代の流れとはいえ、
五感が喜ぶ場所がなくなっていくのは、本当に残念。
できることなら民間の力で、この小さな分校を、
子どもたちが思い切り遊んだり、
自然から学べる施設として復活させられないだろうか。
そこに地元のおじいちゃん、おばあちゃんがいたら素敵。
私たちは4人の祖父母にたくさんのことを教えてもらった。
それを自然の中で、別の形、新しい形で、
伝えられたらいいなと思う。