「裏トモ日記」

福岡県糸島半島にて、
器と暮らしのものKurumianを営む
tomokaの海辺暮らし、日々のできごと。








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流されるのか、自分らしく生きていくのか

 

昨夜、facrbookで所ジョージさんのある記事を読んで、考えさせられた。

https://ex.yahoo.co.jp/buzzfeedjapan/ashitano-interview/13.html

 

おとなになると、自分から何もしないで、ただ生活しているだけでは楽しい

ことって殆どない。子どもの頃、なぜ楽しいことが無意識にあったかというと、

周りのおとなたちが楽しみを用意してくれていたからだ。

わたしが成人し、結婚して、さあ人生これからだと思ったときに、

「楽しいことなんて何もないじゃないか」とつまづいたのは、

 

きっと誰かが楽しくしてくれるだろう。

いつか楽しみがどこからかやってくるだろう。

 

という、甘えと子どもの自分が抜けていなかったからだと思う。

今、まわりを見渡してみたら、

楽しそうにしている人はみんな自分から楽しくなるように動いている。

大きなことからではなく、小さなことから着実に。

 

世の中は不景気だからとか、政治が悪いからとか、老後が不安だからとか、

そう思いながら生きていると本当にそうなるだろう。

かつての世界大恐慌もそうやってはじまったと知った。

 

テレビやネットニュースばかり見ていたら、自分でも不思議なくらい流される。

思考がそこに焦点を当て深堀りしていく。

なぜそうなったのか、じゃあどうしたらいいのか?と悶々としたあげくには、

 

この国は絶望的。

 

というスパイラルにはまっていく。

じゃあ、ネガティブなものは読まなければ(見なければ)いいじゃんと

自分に言いたくなるけど、それでもやっぱり世の中のことは知っておく

必要がある。知らずにいたら安らかにすごせるかも知れないけれど、

それは単なる逃げなのかも知れないと思うからだ。

知った上で流されない「強さ」を身に着けなければならないと思う。

 

流されずに、自分の考えを持ち楽しく生きようと動けば、違う未来にきっと

なる。いや、なってほしい。

 

わたしの周りで自分らしく生きている魅力的な人たちは、

例外なく、周りに流されることなく自分の意見を持ち行動し続けている。

そして、その他大勢に否定されることを恐れていない。

流されて愚痴を言いながらつまらなく生きるのか、

恐れず自分らしく楽しく生きるのか。

選択するのは自分しかいない。誰もその代わりをしてくれる人はいない。

 

 

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樹木構造

 

今朝読んだ記事の「樹木構造」を自分の仕事に当てはめて描いてみたら、

わたしがやっていることのすべては【想像力】というひと言で説明できる

ことが分かった。

 

デキる子の頭の中は「樹木構造」になっている。

東洋経済オンライン

http://toyokeizai.net/articles/-/136928

 

 

 

実は、今年の秋にあるイベントを企画開催したいなと思っていて、

それも根っこにある本質の部分は【想像力】。

でも、このイベントを実現するには、自分たちだけでは実現できず、

かなりハードルが高い。でも、もし実現したら、まちがいなく楽しい!

(この話をある方に話したら「その手があったか!」と言われた)

プレゼンの時にも、この樹木構造を書いて共有してみよう。

なんだか出来そうな気がしてきた。笑

 

普段考えていることや、自分が分かっていればいいと思っていたことを、

可視化するのは、とても良いことだと思った。

簡単ですが、これが今、わたしが仕事で考えていることのすべてです。

想像力を越えた場所に実る果実を、自分たちが生きている間に見てみたい。

そんなことを本気で思っています。

 

 

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好きなことをやるということ。

 

今度、当店のクラブ活動に参加予定のSさんが昨日ご来店くださり、

こうおっしゃいました。

 

「実は会社を休んで参加します!」

 

内心えーっ!と思ったわたし。

だ、大丈夫かな、、、と心配にもなりました。

でもそんな心配は無用でした。

 

「今まで周りの人が好きなことをしていたら、

なんでわたしだけ、、、と思っていました。

でも、自分が好きなことをすれば、

きっと周りの人にやさしくなれますよね」

 

そうそう!その循環!!と、とっても嬉しくなりました。

でも、わたしがこう言うと噛みついてくる人がいるかも知れない。

 

わたしは真面目にやっているのに、

自分だけ好きなこと出来ていいよね、

わたしにはそんな時間ないのに、、、

 

果たして本当にそうでしょうか?

数カ月に1回、ほんの2時間を確保するって本当に無理でしょうか?

周りから何か言われていることを恐れてはいないでしょうか?

 

否定から入る前に、どうしたら出来るのかを先に考えると、

自分の中に、楽しい風が吹いてきます。これは絶対です。

 

日本人は島国という地理的な特性上(村八分なんて言葉があるように)

みんなと同じでなければならない、はみ出たことをしたら恥ずかしい、

みんなに笑われる、真面目にやらないといけない・・・などなど、

秩序を保つ性格が根強く刻まれているのかも知れません。

だからこそ、日本は住みよく良いこともたくさんあります。

がしかし、それが時に自分を苦しめていたとしたら??

 

そして、日本人は思考が一定方向に偏りやすいのかも知れません。

どちらかでないといけない。どちらかに決めなければならない。

というように。

 

こういう考えもある、あんな人もいる、こんなやりかたもある。

 

という多様性を認めたり、

バランスを保つのは苦手な民族性なのかも知れません。

だから、はみ出た人や秩序から外れた人が許せない。

自分はこんなに真面目に生きているのに!と怒りが湧いてくる。

 

ただ、もうそろそろ、それを理解した上で

【自分に好きなことをしていい】と許可を出してもいい頃だと思います。

なぜなら、時代はどんどん移り変わっているから。

いつだったか、ある人が言いました。

 

「生き残る人間は時代に対応できた人だけだ」と。

 

わたしはDNAにとても興味があり、

自分のルーツも遺伝子型も知っていますが、

人類が始まって以来、氷河期も、乾燥した大地でも、

先祖たちが生き残り、子孫を残し、

今わたしたちがここに存在しているのはなぜか?

 

それは、間違いなく、時代に対応したからです。

ヒトが生存できる温暖な気候と肥沃な大地を求め移動し、道具をつくり、

自分のチカラではどうしようもできない時代の条件に対応したからです。

 

先祖たちのその生きる力の強さを想像しては、いつも涙が出るほど感動して

しまいますが、今のわたしたちはそんなことはしなくてもいいという、

とても恵まれた時代に生きているということを忘れてはいけないなと思います。

 

わたしたちは何をやってもいい。

明日食べるものもある。動物に襲われることなく、夜は温かい布団で眠れる。

人類史上もっともラッキーな時代を生きている。

それだけで強運だと思います。

 

そして、それは先祖が繋いでくれたものの上に成り立っている。

だからこそ、喜んで好きなことをやらせていただこう。

それが先祖一同のねがい。(←これを書くと泣いてしまう)

先祖たちは、わたしたちが健康で笑顔で楽しく充実した日々を送ることを

こころから望んでいる。

 

なぜなら、わが子孫の不幸を願う先祖がどこにいますか。

 

わたしが先祖なら、子孫の幸せは必ずカラダを張ってでも願います。

きっとそれが愛です。

 

だから、今を生きる人たちは、

好きなことをやっていいし、幸せにならないといけない。

それを否定したり、不幸だとわかっているのに変わる努力をしないのは、

まちがいなく彼らが悲しみます。

 

わたしには子どもがいないので、先祖になることはできませんが、

だからこそ、この世の全ての人々がそうあれるように祈り、

自分に与えられた個性や能力があるのなら、そこに惜しみなく注いでいきます。

この世で何かしら行動できるのは生きている間だけだから。

 

 

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事が進むということ。

 

昨日、仲良くさせていただいているYさんと店でこんな話になった。

 

「自分がどんなにそれを望んでいても‘ちがう’時は、

まったく思った通りに進まない」

 

大いに納得してしまった。

 

自分が望んでいるのなら、いいんじゃないの?

と思ってしまうけど、それは本当に真意なのだろうか。

いわゆる「相対的」なものではないだろうか?

 

それに対して、

スムーズに事が進む時というのは「絶対的」なとき。

自分と望みが「定まる」とき。

まるでそれを知る、誰かの采配のように事が進む。

 

 

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小さくはじめる

 

自動代替テキストはありません。

 

本のない人生なんてありえない。

時間や国を超えて会いたい人に会える、思考に触れる、旅ができる。

これほど内面を豊かにするものはない。本が大好きだ。

 

本を買うのはamazonもあるけれど、もちろん近くの本屋さんも。

基本的に「本は買うもの」だと思っているのは、線を引いたり、

角を折り曲げたりするから。

 

先日、近く(といっても7-8kmくらい先)の本屋さんで立ち読みしていて

記憶に残ったフレーズがこちら。(タイトルは忘れてしまいました。

確か脳関係です)

 

「小さくはじめる」

 

自己啓発系に精通している人には常識中の常識かも知れないけれど、

やってみた結果、この効果は絶大!まちがいなし!

 

英語だって中国語だって、スマホの優秀なアプリのおかげで、

1講座10-15分なので、知らず知らずの間に続ている。

 

この店も、最初に小さくはじめたから気づけば17年半続いている。

(大きくしたいと思ったことが1度もなければ、それが自分には向いて

いないことに早々に気づいた。笑)

 

いきなり大きなことにチャレンジしようとすると、

大脳辺縁系が拒否をするように人間の身体は出来ているのだそう。

なぜなら、急激な変化は体調の変化を及ぼすかも知れないから。

ある意味とってもありがたい身体の防御反応。

この身体を守り、存続させようと必死なんだね。

なのに人間はついそれを無視して、でっかいことをやりたがる・・・笑

 

なので「小さくはじめて」少しずつ身体を慣らしていく。

そして、1,2回失敗したり、うまくいかなかったくらいで諦めない。

うまく回るようになるまでやり続ける。

そうしていくうちに道は開けると信じている。

 

なぜこんなことを書くのかというと、

年末に、40億の負債を10年で完済したある会社の社長さんの番組を観て、

しばらく腑抜けになるほど感動してしまったから。

 

その番組の内容は、

ビール会社の営業をしていた息子さんが、ある日突然父親を亡くした後、

負わなくてもいい40億の負債を背負い、

現在の事業であれやこれと改善策を試みるも失敗。

もはやこれまでと自殺を試みるも死ぬ勇気もない。しかし、

 

5年という期間を設けて、この間は何度失敗してもいい。

とにかくチャレンジし続ける。

 

という目標を立て、結果10年で完済。

わたしにはこんな根性ない・・・と思ったけれど、

 

小さなことからチャレンジし続けることは出来るかも❤

 

と思った。

小さくはじめれば時間も身体も精神的にも負担が少ないし、

勇気も根性もいらないし(笑)軌道修正も簡単にできる。

清水の舞台から飛び降りなくてもいい。

誰に遠慮もいらない、小さく小さくはじめる。

この時必要ないのは、

 

「誰かに何か言われたらどうしよう」と思わないこと。

 

言いたい人には言わせておけばいい。

単に自分とは周波数が違うだけの人だし、

関わることもなければ親しくなることもない。

寂聴さんの言葉を借りて「その人はブサイクなのよ」と思おう。笑

何も恐れる必要はなし。

小さく小さくはじめよう。

 

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人脈とは

 

共感したり影響を受けたものは、かならずソースを記載したいのだけど、

触れる情報があまりに多くて、何で知ったのか忘れてしまいましたが、

以前、人脈について大共感したものがこちら。

 

人脈とは、自分が付き合いたいと思うより、

相手が自分と付き合うと何を得するのかだ。

 

これはもう絶対そうだと思いました。

自分は相手に何もして差し上げないで、

相手からは何かを頂こうなんて都合が良すぎるし、

それを相手は初対面で見抜いています。

 

逆に、ぐんぐん物事が動き回っている方を見回してみると、

 

そもそも人脈なんて全く意識しておらず、

人が喜ぶことそのものが大好きだったり、

見返りなんて求めずに相手のために一肌脱げる人。

 

そこに、計算高さとか、あざとさがない。

そんな人ばかりです。

 

 

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豊かさとは何か

 

 

店舗の窓から見える風景。

久々に陽が降り注いで気持ち良さそうな畑と雑木林

梅のつぼみも膨らんできて春はもうすぐです。

 

今日は朝からまぶしいほどの青空!

ハンナと一緒に海へ散歩に行った時、暖かいこともあって、

久々に砂浜で意識を波の音にまかせてしばしの瞑想タイム、、、

 

瞑想って(その筋の方には怒られるかもしれませんが。笑)

スピリチュアルでもなんでもなくて、

毎日動きに動いている顕在意識にちょっとお休みしてもらう時間で、

そうすると何が起きるかというと、潜在意識がひょっこり顔を出し、

思いもよらないアイディアや、ひらめきを与えてくれてます。

(わたしのような職業には本当にありがたいです)

 

わたしの場合、言葉がどこからか降ってくる感じで、

今日は「本当の豊かさとはなにか」というお題が降ってきました。

 

ないものを探すのではなく

あるものをリストアップせよ

 

と何者からか言われたので(笑)

ハンナと波打ち際を歩きながら、

ぶつぶつと「あるもの」について考えていたら、

 

目の前の冬の海の美しさに、

無邪気なハンナの可愛さに、

 

次から次に、驚くほどたくさん出てきて、

こうやって息が吸えている当たり前のことにさえ、

豊かさを感じている自分がいて、さらに驚きました。

ココロが満ちるとはこういうことか。

 

満ちてあふれた時に、

人は誰かにそれをお裾分けできるのかも知れない。

だから、まず自分が満ちる。

自らが満ちてこそ、他人にやさしくあたたかく、

誰かの成功も共に喜ぶことができるのだと。

 

今日、新しいご縁をいただいた

フェアトレード団体の方とお話ししていて思ったのだけど、

 

彼らは金銭的で言うと貧しい国々の人なのかも知れない。

でも、それは「金銭的」という価値観から見た場合で、

(もちろん教育や夫婦間など、彼らには多くの問題も抱えているけれど)

違う面からみると、実は彼らのほうが豊かな面があるかも知れないと。

 

支援をして「あげる」という上からの立場ではなく、

物質面に限らないその豊かさを「お裾分けしていただく」という視点が、

ほんとうのフェアトレードではないだろうか、、、とも。

 

ほんとうの「豊かさ」とは何か。

それはそれぞれが持つ価値観で大きく変わる。

暮らしのひとつひとつに、もちろんお金は必要だ。

しかし、お金だけではかれない豊かさがあることも事実。

多様な価値観を持てる自分。これが豊かさの源泉なのかも知れない。

 

 

お隣さんにお借りしている畑にて。

昨年秋に収穫した稲藁を刻んで土に漉き込み、

微生物に分解発酵してもらいます

 

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好きに勝るものはなし

 

長いこと語学の勉強?をやっていますが、

まだこの程度かと思うこと度々です。

 

しかし、昨年12月に風邪を引いて寝込んでいた時に

あれこれ気づき、その後の取り組みも含めて、

 

好きに勝るものはなし

 

と実感しました。

特に、中国語に関しては、

ずいぶん若い頃から、なんの兆候もないのに、

「いつか使う日がくる」と思っていて、挫折しては始めるの繰り返し。

一向に上達しない。なぜなら、

 

使う日が来る「だろうから」やらなくちゃ。

 

という状態だったから。

これが今年、台湾で個展を開催することが決まってから、

 

5月に使うからやる。

 

と具体的になったけど、暗記を伴う作業は40代にはつらい。

そこで、視点と設定を変えてみた。

 

上達はおいといて、

中国語そのものを楽しんでみよう。

 

わたしの性格上「楽しい!」と思う時は決まっていて、

 

過去できなかったことが出来るようになった時

 

なので、コツコツやるというよりも、

テキスト1冊を1時間くらいで、全ページめくり(右脳的)

とりあえず、サラサラとどんなことが書いてあるのかを知り、

 

聞いたら音読を繰り返す。

 

さっきまで出来なかった音読が出来たら、すごく嬉しくなるので、

嬉しい気分を維持したまま、しつこく繰り返す。

 

しかし、なにせA型なので、分からない箇所が出てくると

「なんでこうなるんだ?」と、いちいち気になる。

気になってどうしようもない時は、ちゃんと参考書で調べて

スッキリするようにしているけど、そうでもないときは、

どんどん聞いて、どんどん音読する。

 

大量の文章に触れていると、いつの間にか分からない部分が

分かるようになっていた。

(とりあえず右脳に入れとけ的な、脳におまかせ学習)

 

語学は勉強と思うと辛いので、

これは単なる「方法」であり、

ツールとして使えるようになるための作業にすぎないので、

作業そのものの自分なりの楽しみを見つけて、

結果にこだわらず楽しむことに重きを置く。

 

・・・というカンジでやっていると、

明らかに前より記憶力が良くなったから不思議!

 

以前、脳は苦しいことがキライだと(苦しいと動きが悪くなる)

なにかの本で読んだことがあったので、

快(楽しい)状態にすれば、動きが良くなるのは当たり前!

 

語学に限らず、すべての行為は、

誰かが楽しくしてくれるのを待つんじゃなくて、

自分から楽しくなる。これに尽きると思いました。

 

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喫茶去のつづき

 

先日、本棚でふと目に留まった、

ひろさちやさんの「禅がわかる本」の喫茶去のつづき。

 

喫茶去とは簡単に言うと「まあ、お茶でも飲みなさいよ」だそうだけど、

そこには、

 

「あまり真面目になりすぎるなよ」

「こだわりすぎると人生疲れるよ」

 

ということが含まれていて、昔の人も今となんら変わらないのだなと思った。

 

葉脈だけになったクヌギの葉。思わず庭で美しさにみとれる。

 

わたしの場合、何にこだわりすぎていたかというと、

20代から自営業ということと、テレビや周りの影響を直に受けて、

先々に対する不安、いわゆる「老後不安」に陥っていた。

 

この漠然とした不安にこだわりすぎて、

早く自分ではない何者かにならなくてはならないと思いが強く、

自分に時間やお金の投資をし、学びに費やしてきた。

 

正直なところ、それは悪いことではなく、

むしろ、死ぬまで働く必要があるであろう今の40代にとっては

必要なことだと思っているけれど、何がまずかったかというと、

その思いが強すぎるがゆえに、

何が楽しいのか、何が好きなのかさえ、わからなくなってきていた。

それがわからないから、幸せがどういうものかわかるはずがない。

 

ココロが「今ここにない」状態。

がんばっているつもりなのに、楽しくもなければ幸せでもない。

これがわたしの落とし穴だった。

 

完全な形でそれに気づいたのは、なんと昨年末。

ほんとうに最近のはなし。笑

 

「こだわりすぎると人生疲れるよ」

 

まさにその通りの人生を歩んでいた、意外と真面目だったわたし。笑

喫茶去で深いと思ったのは、

 

お茶を飲むときはゆったりとお茶を飲み

眠るときにはきちんと寝て

遊ぶときは思いっきり遊べ

 

という「今を生きる」智慧が含まれていること。

日本人は真面目すぎるのかも知れない。

その真面目さゆえに、今まで様々なことを成し遂げてきたけれど、

そこには誰かや何かを犠牲にしたり、

人には言えない苦しみはなかっただろうか?

 

「今を生きなさい」

 

長い年月を越えて、禅は教えてくれます。

 

 

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ひらめきタイム

 

ある日の夕暮れ。糸島市志摩桜井より可也山方向を望む。

 

わたしの3大ひらめきタイムはこちら。

 

・台所で洗いものをしているとき

・掃除機をかけているとき

・お風呂に浸かっているとき

 

共通しているのは、さして考え事をしていない時間ということ。

ということは、やっぱり瞑想や座禅がひらめきに良いというのも納得です。

今日は洗いものをしているときに文章が降りてきて(?)

終わってから、慌てて手帳に書き記しました。

 

わが家の隣にある雑木林にて。

 

わたしの場合、

ひらめくには、あらかじめ「目標となるものの設定」が必要で、

一度設定したら、あとは脳(潜在意識)が自動で答えを探しに行くそうなので、

気づいた時くらいしか考えることはなく(手放す)、

顕在意識の活動がにぶる上記の時間帯に、ピピピ!とひらめくみたいです。

 

脳(潜在意識)が自動で答えを探しに行く。というのは本当で、

たとえば「台湾」と設定すると、台湾の情報ばかり集まってくる。

(台湾の情報が知らず知らずの内に次々目に留まっている状態)

 

なので、先々やりたいことや夢を設定して、執着せず手放しておくと、

自動で叶うというのも納得です。(夢の実現には行動が必要ですが)

 

 

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「禅がわかる本」より【喫茶去】編

 

自動代替テキストはありません。

 

なにげなく本棚を見ていたら10年以上前に読んだ本が目についた。

30代の時は「ふーん」だったこの本。

あの時よりも今の方がひとつひとつ身に沁みる。

 

その中の【喫茶去(きっさこ)】のページで印象に残ったこと。

思い当たるフシがありすぎて、ヒリヒリする。

 

日本人は、その真面目さゆえに、

ひとつ「こうだ」と思ったら、

それ以外は「ちがう」と思ってしまう気がする。

それが自分を苦しめる。

黒もあれば白も、グレーもあっていい。と思えるようになれば、

ここでいう「さらりとした人生」が過ごせるはず。きっと。

 

禅が中国から伝来したことが、この気質からもわかる気がする。

 

 

◎まじめに生きようとすれば、

自分の生き方と他人の生き方を比べてしまいます。

不まじめに生きている(ように見える)人を糺弾し、

あんな生き方はよくないと他人を裁くはめになります。

だが、やがて、わたしたちは人生に疲れます。

 

◎わたしたちが何かに価値の基準を置くと、

今度はその何かがわたしたちを拘束します。

 

◎人生はさらりと生きること。

 

 

 

画像に含まれている可能性があるもの:テキスト

 

この本の前半に、とっても好きなフレーズがあります。

 

禅とは「ゴミを落とすな!」というものではありません。

そうではなく、むしろ、

「ゴミを気にするな!」というものです。

わたしたちはゴミに対してこだわりを持っています。

ゴミを汚い、汚いと思っています。でも、仏教は、

ゴミを汚いと思うその心のほうが汚いと言っているのです。

それが「空」ということです。

 

ひろさちや

 

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幸福論ノートはじめます

 

世界の人口は、74億5千万人いるらしい。

どの国の人も、あの人もこの人も、

素敵な事業も、逆にどんなに汚いやり方だろうと、

辿れば人類の目的とはすべて「幸福になるため」に

日々を生きているのだそうだ。

 

なのに「今、幸せですか?」と聞かれたら、

何パーセントの人が「幸せです!」と答えるだろう?

 

そして、自分はどうなのか?

心から「幸せです!」と言えるだろうか?

言えないとしたら、それはなぜだろうか?

 

以前もこのブログで書いた「本当の幸せ」について、

絶対的幸福感を感じるにはどうすればよいのか?

自分が見聞きしたことをはじめ、体感したことなどを

これから備忘録としてノートのように綴っていこうと思う。

 

-------------

 

ブータンや北欧では、経済規模や宗教的な違いがあるにも関わらず、

幸せを実感している人が多いのは周知のとおり。

幸福について研究しているデンマーク人のMeik Wiking氏によると、

人間が感じる幸せには以下の7つの要素があるとのこと。

 

・Trust(信用)

・Security(安全)

・Wealth(豊かさ)

・Freedom(自由)

・Democracy(民主主義)

・Civil Society(市民社会)

・Balance(バランス)

 

彼によると、デンマーク人は極端な不幸を感じている人はいないらしい。

それは高い福祉制度により、将来のセーフティネットがあることで、

不安を感じやすい低所得者の幸福度が高いのだそう。

 

そして、ある一定の所得まで達すると、幸福感は飽和状態になるとのこと。

 

デンマークの高所得者は、

「貧しい人に出来るだけお金を回して、みんなで幸せになろう!」

という価値観があるのだそうだ。

20%以上の消費税でも(その他税金を含めると大変な額になりそう)

根底に老後不安のない高福祉制度とその価値観があるから、

ネガティブな要素はないのかと思いきや、、、

 

国に頼れるので人を頼らず、つながる必要もないので、

コミュニケーションが減り、孤独を感じている人もいるとのこと。

これが自殺者の多さにもつながるのではないかとも。

 

しかし、コミュニケーションの一環として、子どもだけでなく、

おとなも習い事をしている人が多いそうで、

家庭や会社の輪を越えて、あえて違う複数の輪と関わることは、

コミュニケーションが広がり、柔軟に影響を受けた思考は

物事を幅広く考えられるようになり、より生きやすくなると思う。

(なぜなら、幸福とはひとりで感じ続けられるものではないから)

 

そして、デンマーク人は仕事は家族を養うためだけではなく、

仕事そのものに目的を見出している人が多い。のだそうだ。

それが生きること、人生の充実感につながる。

 

さらに、労働時間は週37時間にも関わらず、

GDPは日本の1.7倍!

 

日本でも昨年くらいから働き方改革がはじまっているけれど、

それは彼の言う「バランス」であり、

限られた時間でどのように働くか、金銭的な目的以外に、

その仕事に目的を見出すことは、長期的な真の豊かさにつながると思った。

 

人は生きるためではなく、

もっと意味のある何かのために働くことで、

長期的な幸せを感じる生き物である。

 

人類が物質や境界線から自由になれば、

無駄な争いごとがなくなっていく。

 

Meik Wiking

Happiness Research Institute

代表取締役社長

 

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