裏トモ日記

福岡県糸島半島の海のそば、
森の中での犬との暮らしとしごと。
Tomoka Hayashida

WORKS
CRAFT&ART KURUMIAN
学びと体験スペース 森と海
墨染め×ART ichigo ichie
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気を降ろす

 

 

10月上旬にメニエール病になって以来、毎日午前中だけ船酔い状態(めまい)がつづいていた。あの思い出すのも恐ろしい激しい回転性のめまいではないだけマシだけど、こうも決まって朝9時からお昼までつづくと、さすがに嫌気がさしてくる。

 

そこで、このめまいはなぜ、どこからくるのかを考えたら、原因に思いあたるフシがあった。それもひとつではなく、複合的な原因が。普段ぼーっとしていて、頭も良くないくせに、何かひとつの物事に取り組むときは徹底的に考えたり突き詰めるところがあり(こう書くと超イヤなやつと思われるでしょうが勉強や読書も好きなので朝から寝る直前まで1日中頭を使っていた)それが仕事となると度合いが増す。これはたぶん、わたしの気や器の小ささからくるのだと思うけど、この1年強はそんなことが続いていた。

 

さらに具合のわるいことに、そうまでしても事が上手く運ばないことが続いたり、数年ぶりに強い怒りを覚える出来事もあったりして、完全に「気」が上がっている状態だった。そこに警告を鳴らすかのように、超回転性のめまいがある朝突然やってきて、なんだか腹が立つというより、悲しくて仕方なかった。


でも、ここで何もしないでこの状態が続くのも耐えられなかったし、一刻も早く抜け出したかった。どうしたって仕事は休めないので、頭が使えるようになってから自分なりに不調の根本原因を探り、まずは全体の状態を補い整えることから、いくつかの策を実行していく。そして、エネルギーを補充できたところで、上がりきった気を降ろすための策に取り掛かる。そのうちのひとつが気功だった。

 

 

 

気功は昔、母が中国人の先生から習っていたけれど、なんでも中途半端な母は気功に限らず、ヨガも整体も、その時習っていたものは、時間とお金をかけた割にいまいち役立てることが出来ていなかったけど、わたしの記憶には残っていた。

 

実は、数年前から毎朝のヨガの前にスワイショウを必ず行っていたり、東洋医学好きなわたしでさえも、正直なところ気功については8割信じて2割は信じ切れていなかった。それは「気」というものが目に見えないエネルギーだからかも知れないし、何かこうパリッとした効能や結果を実感したことがなかったからかも知れない。

 

そこで、今回「気が上がっている」という絶好なチャンスを持っているわたしが、この気を降ろし、毎朝のめまいを治すことが出来たら、気というものの存在を信じざるを得ない。

 

いつものスワイショウ(両手をぶらりと下げた状態で前後にと、でんでん太鼓のように左右に振る。だけ)を行い、全身の気の流れを整えたあと、頭上から気を丹田〜下半身〜足まで降ろす。(この時点ではめまいなし。足は温まっている)

 

ここで終わらないのが、わたしのひねくれているところで笑、ひとつの仮説を立てる。「これと逆のことをしたらどうなる?」と。気持ち悪くなればやめればいいので、今度は足元から気を上げてみると、、、あら不思議!めちゃくちゃ気持ち悪い!目がまわる!!そして、慌ててまた気を降ろすと元に戻る。なんだこれは??自分でやっておいて自分が1番驚いている笑。・・・それ以降、一度もめまいは出ていない。

 

 

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インドの古布手織りラグ

 

 

 

待ちに待ったインドの手織りラグが届いた!これはインドの古布を綺麗に洗って、手織りされたラグ。170×105cmと大判な上にびっくりするほど柔らかい♡

早速、お尻にフィットするように折りたたんで、しばし瞑想タイム。森は酸素濃度が濃いらしく、天然の酸素カプセル気分で終わったあとの爽快感は最高。何より朝の空気はまだ汚れていないので新鮮。肺から全身に巡っておくれ〜。 来週の満月夜の瞑想会では、ご参加の方にお使いいただくラグは、この中からお選びいただけるようにします😊

 

・・・と今朝、インスタの個人アカウントに書いたら、たくさんの方からご購入希望やお問合せをいただき、満月夜の瞑想会でお貸しする分が足りなくなりそうだったので急遽追加注文しました。1枚1枚織模様が全然違うし、中にはインドのビーズやスパンコールが入っているのものあって、お気に入りの1枚を見つけるのは、きっと宝探し感覚で楽しんでもらえたら嬉しいです。

 

瞑想の学びを深める中で、これは本当に面白いなと思ったのが、例えば「八方塞がり」な状況の時どうするかというもの。

 

たぶん、「あああ、どうしよう、どうしよう・・・」と悪い方向ばかり想像してみたり、「いや、必ず解決策があるはずだ!」とアグレッシブに動いてみたり。わたしは完全な後者で、その八方塞がりな悪い状況の中に1秒たりともいたくないので、思いつく策でがんがん動き、力づくで状況を転換させていました。・・・が、さして状況は変わっていないことが圧倒的に多かった。あんなに頑張ったのに、こんなにやったのに。もう知らん!みんな好かん!どうにでもなってしまえーー!と最後は投げやりになるというパターン笑。

 

これをマインドフルネス瞑想ではどのようにとらえるかというと、その【八方塞がりという状況を受け入れる】というもの。まず、この状況を受け入れるということがわからなかった笑。しかし、鳥の目(今はドローンの目)で自分を見て、客観的にその状況を見てみる。そして、少しずつ自分の中に受け入れていくということがわかるようになる。嫌だ、絶対嫌だと思ってるうちに好転はないと言ってもいい。一旦まずは受け入れる。自分に起きるどんな醜い感情さえも。呼吸とともに。

 

すると、不思議なことが起きたのが、あれだけ嫌だ嫌だと思っていたことの中に、空白が出来てくる。そして、ふとしたことから新たなことを思いついたり、ひょんなことから解決策が向こうからやってきたりする。これは本当に驚いたのだけど、冷静に考えてみると、受け入れたことによって脳に空白ができ、新たな視点や別の視点がわたしの中に生まれたのだと思った。どんな小さなものでも、良い兆しには目ざといわたしは全てが解決したような気分になる笑。

 

しかし、瞑想というのは日常生活と健康と、そして仕事に大いに役に立っている。というか、瞑想をしていなかったら、瞑想を知らなかったら、と思うと、、、想像したくない。マインドフルネス瞑想は、グーグルやマサチューセッツ工科大学などで日常行われている意味が本当によくわかる。

 

 

 

 

余談:

先日のイベントで腰痛が悪化してしまい、腰痛に効くという天然ラドン温泉きららの湯へ。うちから車で10分くらいなのに、糸島に19年半住んでいるのに、行ったのはじめて!

わお!おばあちゃんでいっぱいな、ややぬる目のラドン温泉に浸かること15分。手足がジンジンする、、、なんかもうのぼせてきた、、、これがラドンの効能なのか、、、汗が吹き出してきたので上がる。併設のレストランで食事して(お風呂+海鮮丼セットでたしか1300円。安!)体に良さそうなラドン水をがぶ飲みして帰る。お料理は糸島産のものだけあって、なんでも美味しかった。とくに天ぷらの野菜のうまみが強くて感激。二丈のお野菜ってほんと美味しいよね。ちなみに天ざるそばセットは800円。

その時は体が温まりすぎたくらいの感覚だったのが、帰りに買物でウロウロしていたら、体が軽い!腰が痛くない!確か効能に「疲労」も書いてあったけど、そんな即効性ある??よし、またおばあちゃんに紛れて入りに行こう😊ちなみに天然ラドン温泉は自律神経失調症などにも良いそう。

 

 

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痛みへの瞑想

 

わたしが日々行っている瞑想には、痛みへの瞑想というものがある。行うことはシンプルで、痛みに意識を向ける(厳密にはもっと深いアプローチ方法がある)のだけど、こんな時に限ってどこも痛くない笑。はやく試したくて、どこか痛くならないかなあ、、、と思っていたら、数年ぶりに腰を痛めた。腰は体幹の要だから、ここが痛いと本当に辛い。寝ても痛ければ、立っても座っても痛い。そんな最中、やっと試せる時が来た!と嬉しくて、早速やってみた。

 

最初は痛みで「絶対無理」と思っていたのだけど、痛みに意識を向け、呼吸とともに痛みを観察していく。そしてもう一つのステップを行うこと数分。あれ?痛くない。ど、どして??拍子抜けするほど痛みがない。どこへ消えた??本当に不思議だ。

 

マインドフルネス瞑想は、ストレスへのアプローチだけではない(痛みもストレッサーなのだけど)奥深さを体感したのでした。

 

 

 

最近、気候も穏やかになってきたので、海で瞑想をすることが多くなってきた。森には森の、海には海の感覚の違いがあり、どちらも大好き。しいて言うならば、森は内面へ、海は外側へ向かいながらも、どちらも心身と今と周りの自然環境と一体感を感じることが出来る。最近思うのは、瞑想は静のスポーツではないかと。回数を重ねれば重ねるほど、感覚が掴めてくる。その結果、先日書いたような効果を実感したりする。疲れたなと思ったら坐る。考えごとも雑念も心配事もあっていい。むしろ、それらに対するスペースを自分の中に作ってあげる。これが「あるがままを受け入れる」ということ。難しいことは何もない。

 

追記:

先日アナウンスしました「満月夜の瞑想会」は3連休の最終日の夜ということで、行きたくても行けないよ〜という方がおられましたので、それとは別に日中に開催できるよう検討いたしますね。

 

 

 

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満月夜の瞑想会

 

満月まであと数日だからか、昨夜は大きめの月が夜空にぼんやり出ていて、

はじめて湿度が高い夜を神秘的でステキだと思った。

その時、森からは秋の虫の声と、すぐ近くの浜からは波の音が聞こえてきて、

店に忘れ物があったわたしは、今ここで瞑想したら最高だろうなと思った。

 

普段の瞑想は自宅で早朝だけだけど、夜の瞑想は虫の声だけでシンと静まり

返った森がなんともいえない神聖な空気感を醸し出していて、日中と夜は

こうも違うものかと驚くほど。

 

秋の夜はまた格別で、月明かりの下、キャンドルの灯りだけで瞑想する夜は

たまらないだろうなぁと思い、満月カレンダーで調べてみたら、

10/14(月)11/12(火)が満月だった。

 

ひとりで瞑想してもいいのですが、もし10/14(月)にこの場で瞑想したい方が

おられましたら、お知らせください。瞑想が初めての方でもお教えしますし、

ラグ(敷物)もお貸しできます。(お持ちの方はご持参ください)

満月の月明かりの下、室内にはキャンドルの灯りだけをともし、

静かで美しい音楽を聴きながら、すこしの間今に意識を向け心を鎮める瞑想を

行います。

 

 

 

 

 

10/14(月)満月夜の瞑想会

場所:CRAFT&ART KURUMIAN

時間:20:00〜20:30くらい

参加料金:1000円(森の保全費用に充てさせていただきます)

 

※ラグはレンタル可能ですが、お持ちの方はご持参ください。

 森の中に位置しており、夜は街中より涼しいので、

 膝掛けなどもあると良いかも知れません。

 

※椅子に座って、またはラグに仰向けになっての瞑想も可能です。

 お好きなスタイルでどうぞ。

 

詳細・参加お申込みはこちら

※事前お申し込み制となります

 

 

いつも満月みたいなハンナ。

 

 

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歯を磨くように、顔を洗うように

 

今朝5:56 朝なのに夕暮れみたいな西の空。

 

 

歯を磨くように、顔を洗うように、ヨガと瞑想をする毎日。

 

以前は「ストレスがなくなりますように」と思いながら瞑想をしていた時期が

あって、当たり前のことながら、生きているとストレスがなくなるということは

残念ながら、ない。

 

生病老死、人との関わり、満員電車、仕事、お金、怒り、恐怖、絶望、、、。

東洋の瞑想や思想をベースにマインドフルネスをプログラム化したJ・カバット

ジンは、これらを「人生のやっかごと」と言っているけれど、

この「やっかいごと」を苦だと思い続けるか、受け入れ、穏やかに生きていくかと

問われれば後者を選ぶ。

 

この日常に起こる、避けられない「やっかいごと」と穏やかに自由につきあっていく

には、瞑想を特別な行為ではなく、歯を磨くように、顔を洗うように、ルーティン化

するのがいいと思い、毎朝20分前後行っている。

 

このマインドフルネス瞑想では「今に身と心を置く」というのが最大のキーワード。

 

自分の意識や思考は、放っておくと、過去や未来やどこか遠くを彷徨っていることが

なんと多いことか。わたしの場合は未来を見ていることが多すぎる。

 

 

その過去や未来、どこか遠くを彷徨っている意識を、自分の内側に戻す。

 

 

このシンプルな作業(練習)がマインドフルネス瞑想。

 

自分が「今」にいないとよく分かる行為が、

つまづいたり、忘れ物したり、そそっかしいときや、動作に丁寧さがないとき。

これらは、先のことを考えていることが多いときで、典型的に「今ここにいない

行為」。

 

こんな時は何よりもまず呼吸を整える。

そして、そそっかしい行為をダメだと責めるのではなく、

「今、先のことを考えていたんだな、わたし」と客観的に見て受け入れる。

すると不思議なことに、スーーーッと内面が落ち着いてくる。

これは痛みや怒りなどにも対応できるので、この不思議な面白さ(?)に目覚めて

から、腰痛がある時や、イラっときた時など、どこにいてもどんどん試している。

どこかに坐ることだけが瞑想ではないから。

 

「こうすれば穏やかさを取り戻せる」

という方法を知っておくと、これ以上の安心感はない。

嫌なことがあっても大丈夫。穏やかさが取り戻せれば、余白が生まれて、対応策や

解決策も生まれてくる。

 

 

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マインドフルネス(瞑想)について

 

最近、瞑想のことをブログで綴ることが多いせいか、店頭でお尋ねいただくことが

多くなった。それだけ興味がある方が多いのかも知れない。

 

瞑想そのものはお釈迦様の時代からあったのものなのに、なぜ今なのかというと、

それは、時代が不確実で不安定だから、未来が不安で焦りなどを感じ、それらに

ストレスを感じているからかも知れない。

 

わたしの場合は、このブログでも書いてきたとおり(SNSではあまり触れていない)

あまり恵まれなかった家庭環境から、ストレスを感じやすい元々の性格など、

様々なことが折り重なって、ヨガをはじめたのが今から15年前の30歳のとき。

そこで、ほんの数分おまけのように行われていた瞑想がスタートだった。

 

その後、これはちょっと自分自身をコントロールできなくなってきたぞと思うほど

の荒波が出始めたのが、母が突然死した34歳の頃から。

この頃からヨガと同じくらいの時間を瞑想にあてるようになる。

しかし、自己流のため、さほど目立った変化はなく時は過ぎた。

 

明らかな変化が訪れ始めたのは、京都のいくつかのお寺で座禅を体験してから。

そこから貪るように瞑想について学び、実践してきた。

その後、祖母が亡くなった時、悲しさとなぜか心の平穏が共に訪れ自分でも驚いた。

 

 

瞑想にもいろいろな種類があり、わたしが日々実践しているのは、

宗教色を抜いたものと言われている「マインドフルネス」。自然とここに辿りついた。

様々な種類があるとはいえ、宗教色も否定されるものではないし、どの瞑想もベース

にあるものは【今】であって、今に身と意識を置くことに変わりは無いと思う。

 

 

そこで、なぜ瞑想では【今】に身と意識を置くかというと、このブログにも書いて

きたので重複するが、

 

 

過去でも未来でもない【今】に身と意識(心)を置くことで、

憂いや悩みから一旦離れることができ、脳に空白を作りだすことができる。

 

 

これは、根本的な解決ではないのではないかと人によっては疑問に思うかも

知れないけれど、実際にやってみるとわかるのは、例え「一時的」でも大いに

構わない。

 

とにかく、一旦は脳に空白を作りだすこと。

スタートはそこからなんだと、やってみて心からそう思った。

極端なことを書けば、空白(余白)の無い脳には、何をやっても響かない。

吸収するスペースがないからだ。今に身と意識を置くことで、起きてもいない

不安という妄想や、過去の後悔などから離れることができる。

 

 

マインドフルネス(瞑想)とネットで検索してみれば、効果は簡単に見つけること

ができる。一例をあげてみると、

 

 

・気分がスッキリする。

・自律神経が整う。

・穏やかさをもたらす。

・ひらめきが多くなる。

・問題の解決策を見出せる。

・イライラや怒りが減少する。

・孤独な感覚を減らす。

・満たされている感覚を得る。

・過敏な扁桃体の活動を穏やかにする。

・がん、心疾患、認知症などの炎症に関係する遺伝子の発現の減少。

 

 

などなど、たくさんの効果があると言われている。

しかし、これらは結果であって、これらを目的に瞑想を行うことは違う。

 

目的=未来であって、今に身と意識(心)を置くというマインドフルネス(瞑想)

とは根本的な部分が違うから。

 

 

今このときに感じる風や音、匂い、光、自分の身体と心の感覚。

それらに【良い・悪い】【好き・嫌い】と評価を下さず、

今にアンカーを降ろし、今をただ感じる。

 

今にアンカーを降ろす役割が今この時も休むことなく行っている【呼吸】。

だから、瞑想は呼吸の大切さを繰り返し説く。

 

 

大人になると、論理的なものや説明がつくものを好むことが多くなるけれど、

文字では表しにくい感覚の部分も必要で、どちらかに偏るのではなく、

【考える+感じる】この2つの領域を上手に使いこなしていくことが、

バランスよく生きていくことではないかと思っている。

 

 

そんな中「瞑想に効果を謳ってはいけない」という指導者の方もおられるけれど、

それは正解であって不正解でもあるとわたしは思う。

 

 

上記のような効果はあると言われているけれど、

それだけを目的に瞑想をするのは本質からずれますよ。

 

 

というのが答えだと思う。

かつてお釈迦様も「苦」から自由になるために瞑想をされた。

 

わたしたちは、古の方々が編み出した【苦しみから自由になる】方法を

(苦しみから逃れることではない)学び実践することで、

思考の癖や環境などから長い間纏ってしまった、余計で不要なものを取り払い、

本当の自分で生きていければ、自分も周りも世の中も、真の自由が訪れるのでは

ないかと思っている。

 

 

 

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アインシュタインの言葉と今

 

 

 

「人間の真価は、自己からどのくらい解放されているかによって決まる」

 

というアインシュタインの言葉が、わたしのライフワークを決定づけた朝。

 

おばちゃんちの畑のジンジャーリリーが満開に。

昨年冬わたしにバッサリ刈られても、また元気に芽を出し、大輪の花を咲かせる。

 

毎日暑かったり、雨ばかり降ったり、洗濯物が乾かなかったり、げんなりしがち

だけど、「今」を意識していると、ただ現実としてそこにあるだけという感覚が

分かるようになった。

 

そして「今」を意識していると、

ハンナがいつも以上に愛おしくて、ウザがられるほどの愛情で接してしまう笑。

いつもの当たり前の事や風景がいつも以上に美しく愛おしく見える不思議。

 

 

人間は自然の一部というなら、

元々はまわりの木々や草花のように、完全なプログラムを持っているはずだ。

 

教えてもいないのに、心臓は休むことなく打ちつづけ、消化吸収する胃や大腸、

解毒、代謝、造血、、、など人間として生きていくための完全なプログラムを

何かによってインストールされて、今日も生きることができている。

 

しかし、いつもわたしたちは何かが足りないと思っていて、不安で、心配で、悩む。

 

ネガティブな思いは、危機から身を守るために備わったものではあるけれど、

必要以上にネガティブな思いに苛まれていて、わたしたちはとかく生きづらい。

ただ生きているだけで完全であるということを忘れてしまっている。

 

 

瞑想は「今」を「呼吸」とともに生きることを基本としている。

呼吸をしなければ人は生きられないように、今につなぎとめる役割をする。

「今」に生きることができれば、その間は過去も未来も憂うことはない。

 

瞑想をしなくても、食事はながら食べをせず、食べることに集中する。

歩くときも歩くことに集中する。何かをやりながら他のことをしない。

ただこれだけのことがとても難しく感じるほど、何かに追われている。


でも、これが出来るようになった時、

全く何も感じることがなくなっていた、いつもの帰り道の湾の風景が、

風に揺れるただの雑草が、彩度が急に上がったような、ひとつひとつ、

今まで見ていたものが驚くほど美しく見えるようになった。

 

今の状況としては、何ひとつ変わっていない。

 

 

なのに、自分自身をじっくりと「今」に置いただけで、

【とてつもなく価値ある時間の中に生きている】という実感がしている。

 

 

以前のわたしは、早く自分が目指す理想像になりたかったり、

強くあらねばならない、誰にも甘えてはならない、弱音を吐いてはならない、

と思いすぎたり、未来を考えてばかりで気ばかり焦ったり、不安になったり、

絶望を感じたり、生きることに何の意味があるのだろう?と真剣に思っていた。

一生懸命生きた先に絶望があるなら、長く生きる意味はない。とも。

責任の意識で日々を生きていたように思う。

ある意味、メディアや国にネガティブ洗脳されていたのかも知れないけれど、

 

未来が「今」の連続の先にあるものならば、

今を受け入れ、今にアンカーを降ろし生きることが出来なければ、

未来は思うものになるはずがない。

 

ただ「今」を受け入れ、「今」を味わいながら、「今」を生きる。

 

たぶん昔のひとたちは、みんなそう生きていたんじゃないだろうか。

文明が発達して、人と自分を比べたり、親や周りの環境に影響されたり、

本来の自分ではない、余計なものをたくさん纏ってしまった自分になって、

生きづらさを感じているのかも知れない。

生きづらさの正体は、自分にあった。

 

わたしにとって瞑想は、

その余計なものに気づき、気づかせてくれた感謝とともにそれを流していく

作業なのかも知れない。

 

 

 

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