「裏トモ日記」

福岡県糸島半島にて、
器と暮らしのものKurumianを営む
tomokaの海辺暮らし、日々のできごと。








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芸術とは何か

 

 

早朝海でたくさん遊んで、モリモリごはん食べて、お気に入りのウールラグ

の上でお昼寝中。ウールは夏涼しく冬温かいことを犬は知っている

 

 

昨日たまたま出合い読んだ、建築士・前田紀貞さんのエッセイに、

http://maeda-atelier.com/forarchitects/ESSEY/essay02.html

 

芸術とは、ある物を新しい世界として「存在」させて見せる技術のこと。

 

と書かれていた。コーラの割れた瓶のかけらを例に、

 

光にかざして光の反射を通過した薄いグリーンを味わうことができれば、

それは芸術で、ただのコーラの瓶の割れたゴミと見えたのなら、

それは芸術ではない。と。

 

芸術家は、敢えてゴミのようなものにこそ目を向け、

そこに自分の独自な眼差しと構想力で新たな世界観を創出しようとする

のだとも。

 

さらに、芸術としての「存在」とは別に「道具的」と言う言葉で、

反対の意味を述べられています。

 

例えば、バラの花を見たら、言語的に「バラ」と名前を教えてしまう。

本当はバラには匂いがあり、手触りがあり、様々な色を持っているのに。

ことばだけで「理解」することと「感じる」「出会う」ことは違う。

 

この違いは、想像をはるかに超えた人格形成の影響になる。

 

僕はこの点こそが、

今の日本の教育に最も欠如している部分だと考えています。

感じたり、出会ったり、悩んだり、自分で間違ってもいいから、

何とか解決の糸口を見出そうとするよりも、

何かに対していつも「正しい解答」を提出すること。

大きな怪我をしない転び方を身に付けるよりも、

絶対に転ばないことを考えること(転ぶことを想定しないこと)。

でも、答なんて、実はいつも無限にあるんです。

 

震えるほど全く同感。

そして、渡邊十絲子さんの本「今を生きるための現代詩」の中にあった、

谷川俊太郎氏の詩「生きる」が子どもには分からない理由を思い出した。

 

ここで言う「転ぶことを想定しない」ことほど、人生で恐ろしいことはない。

だから簡単に傷つきやすく、打たれ弱くなる。

人生とは時に転ぶもののだ。転んでいいし、転ばないと成長しない。

教育とは、誰もが転ぶものなのだから、その時どうやったらもう一度

立ち上がれるのかを教える場所であってほしい。

 

それは、単にバラを「バラ」と教えることだけではなく、

たまに棘に刺されてみたり、匂いにうっとりしてみたり、花びらで遊んで

みたりすること。人間に五感が備わっているのは危険回避だけじゃない。

その「存在(芸術・想像)」が、たくさんの選択肢を示してくれるからに

他ならない。だから芸術は人間に必要なのだ。

芸術は美しいだけが全てではない。

 

そんなことを、ピカソも岡本太郎も言いたかったのではないかと。

 

教えてもいないのに、ウールが夏涼しいことをハンナが知っているのは、

その「存在」にハンナが皮膚で触って気が付いたから。

このウールのラグは、てくてく堂さんがイングランド産のウールを手で紡ぎ、

糸にしたものを手織りして作ってくださったもの。

わたしが一目惚れし、数年前の自分の誕生日に購入させていただいたいて、

ハンナも今は亡き先住犬のももとあんじも、いつもこのラグの上で寄り添い、

気持ち良さそうにお昼寝していた。

 

言語を持たず自然に近い動物のほうが、もしかしたら、わたしたちより

芸術に近いのかも知れない。

 

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