「裏トモ日記」

福岡県糸島半島にて、
器と暮らしのものKurumianを営む
tomokaの海辺暮らし、日々のできごと。








<< September 2018 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>
<< ベンチ | main | 大雨 >>

「死ぬ気まんまん」佐野洋子

 

 

人は余命宣告され、それを受け入れた時、

こんなにも鋭く強くなるのかと気持ちよく読了した。

 

わたしも長生き願望は全くないゆえに、

人は長く生きらねばならないという暗黙の認識に常々違和感と

疑問を持っていた。

 

本人の意志が大前提ではあるけれど、

明らかに死期が間近に迫っている人に高栄養な点滴や延命処置を

することでかえって苦しめてはいないのだろうか。

静かに枯れていく命に寄り添えないのは、周りの都合やエゴでは

ないのだろうか。

 

そんなことを考えていたときにこの本に出合い、

死生観というのは、もっと人それぞれ自由でいいのだと勇気が湧いた。

最後のあとがきまで油断できず、

大陸からの引き揚げ者である佐野さんのことを

 

「日本での暮らしが旅先に過ぎないという感覚から、ついに自由では

なかったのではないか。

 

と関川氏は書いていて、なんだか自分のことを言い当てられたようで

夜中ベッドの中でビクっとした。わたしの場合は「日本が「この世」に

置き換えられるのだけど。

 

 

余談:

わたしが健康に気を使っているのは、長生きがしたいからではなく、

今を充実させるためです。生きている時間が有限であることを意識に

落とし込むと(わたしは60歳と設定しているので、あと15年半。)

ぼんやりしていられなくて、やりたいことはやるし、

ぐずぐず悩んでいる時間がもったいないと思うようになりました。

そうすることで「本当の自分」が鮮明に見えてきて面白いです。

 

この本にも書かれていましたが、

 

「人間は遺伝子がちゃんとやってくれるのは、五十から五十五歳

くらいまで。この年齢までは遺伝子が生存・生殖モードでプログラム

されている」

 

のだそう。昔の人は確かそれくらいでお亡くなりになっていたから、

やっぱりそれがヒトの生物学上、自然な形なのだと思いました。

現在は、社会的に生存する意義を重要視しているから、

より長く生きることに重きが置かれるようになったけれど、

それは生物学的には自然なことではないのだなと。

 

長く生きたい人は頑張ってそうすればいいし、

そう思わない人は己の生命力に任せればいい。

死生観はその人本人のものであって、他人がとやかく指南するもの

ではない。とも思います。

 

 

わたしの本棚。 | permalink | - | -
Live Moon ブログパーツ
Special Thanks to 屋形船
Hayashida Tomoka

バナーを作成