「裏トモ日記」

福岡県糸島半島にて、
器と暮らしのものKurumianを営む
tomokaの海辺暮らし、日々のできごと。








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いつでも、どこでも、誰にでも

 

 

今日の朝刊からぐっときた記事。

福岡では知らないひとはいないかも知れない、KBCアサデス。の司会を18年

務めている徳永玲子さん。今でこそアサデス。だけど昔はモーニングモーニング

という番組名で、その頃から司会をされていた。(ちなみに小学生の頃、この

番組に出たことがある。定点カメラのコーナーで)

一度だけご本人にもお会いしたことがあるけれど、徳永さんは司会のほか、

舞台女優、ラジオDJ、絵本の読み聞かせなど幅広い活動をなさっている。

 

【表現者として、相手が誰であっても、常に相手を集中させ

興味を持ってもらうにはどうしたら良いのか考えている】

 

という徳永さんのポリシーに、アートの世界も一緒だなあと思った。

アートの最先端はわたしから見ると「分かるひとだけ分かればいい」という

雰囲気で、多くを近づけていないなと。

 

わたしが思うアートはそうではなく、一部の富裕層や専門家だけのためにだけ

あるものではなくて、市井に生きるひとにこそ、誰にでも、いつでも、そこに

あるものだと思っている。だからこそ、アートもひとも活きるのではないかと。

 

 

今読んでいる本にこんなくだりがある。

 

「いったい、美術にどれほどの力があるのだろうか。

心に余裕のある平和な者には美しく有意義なものであっても、

この世に絶望した、終わった者にも何か作用することああるのだろうか。」

 

思考に絶望癖のあるわたしから言うと、作用は「する」。

絶望の急性期にはそんな余裕はないかも知れないけれど、とくに周波数が合う

作品となら、絶対だと言い切れる。アートとそれを描いた人と心を通わすことが

出来れば誰にでも可能だ。たとえそのアーティストがこの世にいなくても。

 

 

だけど、アートは難しいとか、最初から線を引かれてしまうとか、

そんな存在から一歩歩み寄れるようになるにはどうしたらいいのかな?と

芸術の専門教育を受けていないフツーのわたしが日々悶々と考えている。

 

「相手を飽きさせないかどうかは、

自分がどう表現するか、立ち振る舞うかで決まる」

 

と言う彼女が所属する劇団テアトルハカタの野尻先生の言葉が身に沁みた。

 

 

 

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